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石川啄木と小樽
- 2005/07/01(Fri) -
啄木が小樽でやってしまったこと!

20050701204534.jpg

啄木のファンの方に一言申し上げます。
これから先は読まないほうがいいと思います。
また、妙な、というか不愉快なコメントを寄せられた場合は、予告なく削除しますのでご了解下さい。


さて、石川啄木は望郷と漂泊の天才詩人として知られていることは周知のとおりです。
漂泊とは、実はその地にいられなくなった事情があったことはあまり知られてはいません。

啄木はかなり早熟で、小学生の頃は神童といわれていたそうです。
中学生になって文学になじみ、明治34年には新聞に投稿した詩が掲載されています。
明治35年、文学で身を立てることを決意して、中学を中退して上京しました。
この時に与謝野鉄幹・晶子夫妻らと知り合うことになりました。

健康を損ねて一度帰郷しましたが、療養中も明星や太陽に作品を出し続け、明治37年には再度上京して詩集を
刊行したりしました。

明治39年、父が住職を罷免になるという事件があり、啄木は一家を養うために郷里で教員になりました。
しかし、まもなく労働争議を起こしたことで免職となり、北海道に渡って函館で新聞記者になりました。
ところが、函館の大火で職を失い、更に道内の幾つかの新聞社を転々としました。

小樽と啄木の接点がここにあります。
それが明治40年のことです。
小樽日報社に奉職中、とある床屋に啄木は散髪に出かけたときのことです。
そこで病気を移されてしまい、円形脱毛症ができてしまいました。
啄木が怒ったことは言うまでもありません。

この男、怒りやすかったうえにトラブルメーカーでもあったようです。
天下の公器である新聞を使って、その床屋を毎日攻撃したそうです。
免職となったのは言うまでもありません。
お粗末な話だとは思いませんか?

石川啄木の有名な詩に「東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて蟹とたはむる」というのがあります。
この話を知った時に、私は不謹慎にも「小樽の海岸の白砂に、われ泣きぬれてハゲとたはむる」などとと
頭に浮かんでしまいました。
勿論、悪意からではありませんが、あまりにも幼稚な行動に哀れなものを感じてしまいました。
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